2020/03/02『こういう時こその法話』

坊さんによって「法話の定義」は違うと思いますが、私は本来「こうあるべき」という軸はブラしちゃいけないと思っています。こと、同じ宗派なら特に。

今朝ここに記す内容は「法事の場」で坊さんに使って欲しい内容です。坊さんが使わないなら、在家の皆さんがしっかり認識しておいて欲しいことです。

今回の騒動と先祖供養は関係ない、坊さんと騒動沈静化は別次元の話というラインを取り除いたうえで切々と説いていくべきこと。

法事の席でもやはり話題はウイルスのことで持ちきりです。ならば、わたしはこう語ります。

 

今回は大変なことになってしまいました。不安で不安で仕方ありませんね。でも如何なる状況においても中止にならない、中止にしにくい家族行事があります。それがご法事とお葬式です。過去、震災などで混乱した時も、私のお寺では延期はあっても中止はありませんでした。

そこまでして何故行うのか?それは「やらなきゃいけない」という義務感と思われがちですが、信仰の中にある「願いと安心」から起こるもの……そう、菩提心からなのです。今日も驚くほどマスクをしている人が少ないですね。それは儀式に対する神聖なお気持ちと、仏さまの威光に素直に身を委ねておられるからでしょう。

法事は「亡き人のために」と思っている人がほとんどですが、実は最後にお唱えする回向文に「願わくは、この功徳を以ってあまねく、一切に及ぼし……」とあるように、今日の功徳はすべてに善き影響を及ぼすのです。

それはこの年忌(法事)を行う菩提(俗にいう故人)を中心として、親族が供養を捧げて、すべてに善い風(影響)が吹きますようにと願うわけです。ですから「亡き人がどこかで苦しんでいるから行う」というレベルではないのです。もちろんその人を慕い、その生き様にあやかり、その御魂の徳分を上げる功徳もありますが……。

今日、ここへご参席の皆さん、ぜひご一緒唱えるご真言に仏さまの「功徳ありますように」も観じてください。そして吸う息にも意識を傾けてください。鼻から入るその息は「仏さまの処方箋」そのものです。お香を通じて心身安楽安穏を与えてくださっているのです。

今日、私が持参しました「お香」は天然和漢の香料を寺に伝わる方法で調合したものです。元来、お香の功徳は単なる供物ではなく、薫る者たちをも健やかに穏やかにさせる効能があると説かれています。今日のこの席でしっかり今回の騒動沈静化を菩提と共に祈り、そして心身安楽安穏を得てお帰りください。

 

文章にすると長く感じますが、ゆっくり語っても5分弱の内容です。これだけで参席者の眼が輝きます。こういう時こそ、本来の功徳をしっかり説く……それが僧分の務めでなかろうかとわたしは思います。