2020/06/30『作務衣を語り尽くす』

着衣系の話題が続きます。

高野山に居る頃は作務衣が日常、当たり前の服装でした。今から30年前のことです。学生も修行僧も多い時代でしたから、たくさんの作務衣屋、仕立屋がありました。身長と体重と(たぶん)ウエストを登録すると後は生地見本をみて、名前を言うだけで6,000〜10,000円くらいで仕立ててくれました。こだわりも聞いてくれるので、それぞれ基本形は一緒でも裾の絞りやフィット感、また冬は厚着になるので大きくしたりしたものです。いま思えば「さむえ」とは呼ばず、高野山では「さむふく」と呼んでいましたね。

住職になってからも(私は若くして住職になったものですから)着ることは多く、アート系の講座やテレビのゲストなどにもいろんな作務衣を着たものです。その時は、紺や黒が日常で外着は衣装として明るめをセレクトしました。

近頃では高野山に学生が減り、作務衣の仕立ても減ったと聞きます。昔ほど新調はしませんが、いま現在は新しい物を既製品の中から探さねばならなくなってしまいました。これがちゃちな物か、高額な物しかなくて弱っています。

形も「高野型」ではなく「京型」が主流。高野型が袖に絞り(ゴム)入り、二の腕の部分はスリムな形が主流です。ズボンは太めで白衣を着た上から履けるようになっています。これは小僧のための実践型使用なんです。

京型は袖がやたら太く、絞りもない、いわゆる「くつろ着仕様」で、ズボンは細めです。これが誠に着にくい、そして生地に懲りすぎて上品なので作務には向いていない。安価の物は逆にテロテロにお粗末極まりない。既製品なのでサイズもまちまち着こなすには直しが必要となります。

特に夏用となると、本麻の高騰もありなかなかベストな物がありません。20,000円以上出せばあるにはありますが、あくまでも坊さんの作業着が作務衣ですからね。ワークマンやユニクロ辺りが本気で作れば売れると思うのですが……。

先日、芸人・みほとけちゃんがプロデュースする作務衣の存在を知りました。若い可愛らしい女の子が作る作務衣……おっさんの私には用なしだよなぁ……と思いつつ、思いきって取り寄せてみました。これが……コスパも着心地も機能性も最高ではありませんか!?
とにかく涼しく、木綿(初心行者愛用の生地)が心地イイ。若い人のアイデアが盛りだくさんで、おっさんでもシュッとした印象のシルエット。

どこの作務衣ですか?なんて訊かれるのは何年ぶりでしょう?思わずリピしてしまったのであります。お坊さんにはオススメの「みほとけ作務衣」、ぜひお求めくださいませ!

 

◎みほとけ作務衣 https://mihotoke.base.shop/

2020/06/20『大丈夫、履いてますから』

すっかりご無沙汰となってしまいました。いろいろ配信していると、文字を綴ることが一番億劫で……それでもお付き合いありがとうございます。内容は法話じゃなく、ボヤキです……あしからず。

近頃、ネット界隈で「涼しい袈裟(法衣)」が話題となっています。ご存じの通り、法衣は襦袢(一番下に着る)、白衣、法衣の順に重ね着しているのですが、それを省いて襟元を細工して「あたかも着ているように見える」という代物なのだそうです。

お盆の熱中症対策として好評みたいですけど……私から言われると「愚の骨頂」ですね。第一、気持ち悪い。裸でコートを着る変なおっさんのようだ。そして「見えないからごまかしてもいい」という発想。十善戒を100万遍唱えなさい。

とにかく襦袢には襦袢の、白衣には白衣の役割があるわけですし、真言宗の場合「法衣を直に肌身に接触させない」というルール(諸伝あり)があるわけで。それに慣れてしまった護摩なんて裸でやんなきゃならなくなる(笑)

うちの明治生まれの師僧なんて「小僧なんぞ冬は薄手で一枚減らせ、夏は一枚増やすくらいの気持ちで所作せよ」と厳しかった。要は坊さんには「やせ我慢」の美学ってあるんです。歌舞伎俳優が下着をごまかすわけないですし、相撲取りが冬場にマフラーして土俵には上がらんでしょう。それくらいの愚行ってことです。

今年のお盆はお坊さんに「ちゃんと着てますか?履いてますか?」とぜひお訊ねください。きっと「大丈夫、履いてますから」と笑顔で答えてくれることでしょう。

◎毎朝、ライブ配信しています。ぜひご登録くださいませ。『朝勤web』 

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2020/04/30『ユーチュー坊』

ここ数日間、パソコンの前に座りっぱなしでした。スタッフさんとちょっとしたやりとりから「リモートで毎日、勤行って出来るの?」ということになって、勢いに任せて「やってみますか!」となりました。それが決まったのが、先週(2020/04/25)で発信が月曜日(4/27)となりバタバタ。本当に無謀なことを思いついたものです。

今回はzoomからYouTubeを駆使して、毎朝7時から約30分、調息〜読経〜法話〜祈願というライブ中継。他と一線を画すのは、背後や遠目に撮影するのではなく、視聴者ひとりひとりに話しかけるようなアングル、そう正面を向いているということ。

とにかく独りで画面に向かって語るなんて初めてのことです。それも大変なのだけれど、それ以上の苦労がシステムを構築することでした。そこから悪戦苦闘の数日間が続いたわけです。

なんとか初日を終えて、録画を見直すと左右が反転してたり、画像共有の時に見せるつもりもない画面が登場したりとてんやわんや。流れや法話はなんとかまとまったものの、なかなか慣れるまでは時間を要する作業ですが、前代未聞のユーチューバーならぬ「ユーチュー坊」が毎朝奮闘しております。ぜひチャンネル登録をお願いいたします。

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一生のうちでやりたいこと

すっかり間が空いてしまいました。お変わりありませんか。

私はのんびりしていますが、あれもこれもやりたい!ことがあって、1時間毎に課題を変えて取り組んでいます。ちなみに今日は法務の間をみて、張り子の「張り」を極めたいと朝から悪戦苦闘しています。綺麗に張れることが仕上がりを左右しますので……ここまで逃げてきましたら絶対に会得したいと思います。

さいきん、一生のうちでやりたいことの上位に「ピアノを弾く」というのがあります。テレビで空港や駅に置いてあるピアノを通りすがりの人が弾く……というのがあってすっかりハマっているんです。とにかく格好いい……たぶん、チャレンジはしないとは思いますが(笑)

そして出会ったのがこの本です。

筆者と自分が同世代というのもあるのでしょうが、同じような事を考える人もいるもんだなぁ……と。ここに登場するピアノの先生の言葉はまずはドスンと響きます。タイトルは強面ですが、息抜きに開くとあっという間に読破してしまいますよ。実は今朝の『ほほえみ法話』のヒントもこの書籍からでした。

さて、明日(4/26 15:00-17:00)新しい試みとして、zoomを使った『くらしき仏教カフェweb/天野 こうゆう』を開催します。お家に居ながらにして法話が聴けて、疑問質問を投げかけることが出来ます。残席はまだございますので、ぜひご参加くださいませ。→ https://www.street-academy.com/myclass/82676

2020/04/06『オンラインで自己研鑽』

このブログシステムの今週のお題「オンライン」だそうです。考えてみれば、私は常にオンラインの生活です。

オンライン……この状況下においてつくづく思うことがあります。それは「多趣味でよかった……」ということ。特に「モノを作る」という趣味ほどの自己研鑽はありません。スポーツや瞑想もそうだ!とおっしゃる人も多いのですが、作るとは「カタチにする」ことであり「カタチを遺す」ことなのです。ということは、過去の作品と今の作品を見比べることが出来るのです。

私は僧侶のかたわら、仕事として土人形や張り子など「作る仕事」をしています。趣味はプラモデルやフィギュアなどの「模型」です。作らない人や不器用な人には「よくやるねぇ……」と呆れられます。パティシエが休日にも趣味でお菓子を作って食べている……そんな言い方する友達もいましたw たしかに眼も疲れるし、肩も凝るし、神経もすり減りますが……でも楽しいのです。

私の場合、仕事上でのモノ作りは「リアルを曖昧な表現をする」ことです。例えば、実在する運慶の仏像をいかに簡略に親しみやすいカタチにするか?を追求しています。一方、趣味のモノ作りは「空想をリアルに仕上げる」ように心がけています。アニメや特撮、SF、ミリタリーなど実際には見たこともないものを空想でカタチにしていく。

この正反対が絶妙に楽しく、そのお互いがそれぞれの作業に活かされているんです。たいへんな状況下で行動は制限され、ストレスを抱える人が増えていると云います。でもよくよく考えたら、ネットも繋がるし、在宅で出来ることは山のようにあります。

プラモ歴45年の私から見れば、造型作品を瞬時に地球の裏側の人にも見てもらえる時代なんてくるとは思いませんでした。お互いの技術をオンラインで交換し合えるなんて夢のまた夢だったわけです。でもこれが実現できているのです。

この騒動から、私は「モノ作り」をしている人と多く繋がるようになりました。政治や不安、励まし合うようなSNSは見なくなりました。モノ作りをする人間はただただ自身の技術を上げること、しかも悲壮感なしに楽しんで完成させることのみに没頭しています。楽しみながら上達する……これが最高の自己研鑽だと思うのです。

2020/04/01『内に向けて楽しむ』

法務を除いて、外(境内の外)に出ることを控えています。ラジオの仕事は仕方ありませんが……。

当面、県外の法話会や講演はなくなったので、ずいぶん気持ちが(良い意味で)緩んで、原稿を書いたり、サイトを追加したり、土人形を作ったりしています。あとは趣味のプラモデルの製作ですね。

便利な時代で、材料や工具は街にでて探すより確実にネットのほうが見つかるし、注文した場合は迅速に届きます。素直に「すごい時代だなぁ……」と感心しています。

私は子供の頃からプラモデル小僧でした。小二くらいからずっと作っています。本業の製作があっても、休憩時間にはプラモです。それはお菓子好きなパティシエがおやつにもお菓子を食べるようなもので、周囲は驚きますが、ここで本業の新たなヒントや発見があるんです。

お坊さん以外の本業は創作作家です。墨画や切り絵、版画、それから張り子や陶芸をしています。中でも今は陶土で造型して、それを焼いて、胡粉を塗って磨き上げ、彩色をするという「土人形」に没頭しています。

陶芸が造型なら、張り子や土人形は立体的なキャンパスに絵を描いていく作業です。これが何とも面白い。日本に古くから伝わる色彩と独特の民芸タッチで描くとなんでも「郷土玩具風」になるんです。ダルマや張り子の虎のイメージをしてもらうと雰囲気が伝わると思います。

その技法で神仏や妖怪を作っていますが、最近はこれまた合間(私は手悪さと呼んでいる)に、子供の頃のヒーローや怪獣・怪人、映画のキャラクターなどを作っています。これがたまらなく楽しいんです。基準は過去の記憶にある「格好いい」「面白い」「怖い」というキーワードを束ねて「手元に欲しい」と思える物を具現する。

昔なら出来た作品を独りで愛でていたと思いますが、今は手軽に世界中の人々に観ていただいて、感想をもらえる時代です。元来、アクティブではないインドア系の私にはたまらないひとときなんです。

この状況を嘆いていても始まりません。他人のことはもちろん気にかけるべきですが、まずは自分……そして家族……届いているであろうと錯覚しているSNSでの愚痴などバラまく前に「今をもっと楽しもう」という意気込みが大切だと思います。

何かをカタチにするという趣味は技を磨き、その先には収入も見えてきます。たいへんな時期ですが、内にこもって楽しく技術を磨き上げる「ひととき」にしてみてはいかがでしょうか?ちなみに小学校を卒業したばかりの末っ子は、私についてプラモデル修業をしていますが、アッという間にすごい作品を仕上げ出しましたよ。

 

◎私の作品はぜひこちらでご覧ください→ 『天野こうゆうInstagram

2020/03/31『それこそスッと入る感覚です』

今朝も過去の日記からです。細胞レベルの話で「人は2年で完全に生まれ変わっている……いわば、別人である」という仮説を聞いたことがありますが、毎朝、過去の日記を読み直していると「他人」のものを読んでいるような新鮮な感覚があります。頑固……よく言えば「軸はブレていない」ていないので安堵してますが(笑)

2010/11/13/05:12:05にアップした内容を少し加筆修正して、最後の部分に「いま思うこと」を追記してお届けします。

 

2010/11/13『それこそスッと入る感覚です。』

(大きな法話会『うたかたり』を終えて……記す)

ふと、吸う息と吐く息はどちらが大切なのかってことを考えてしまいました。今回のような大会場では、大衆の波の繰り返しのような呼吸を感じたし、私とフォークシンガー・小林啓子さんの呼吸にも何か法則があるからこそ「阿吽」のパフォーマンスが出来るのではないか……と。

以前、咳に悩む私は「咳込むのは、口汚い言葉を吐くからだ」と教わったことがあります。早朝の(真言/マントラを唱える)瞑想や(長時間かけての)読経の後は咳がピタッと止まる。止まるだけでなく、頭の中がキチッと整理されていて心地イイ。それを総括してみると「息は吸うことより、吐くことが大事」だと思えて仕方がない。

普段の生活では「掴むこと」「摂取すること」「吸収すること」など身体に取り入れることに意識がいきやすくなってるけれど、実は手放すこと、放出すること、吐き出すことがあって、初めて「得る」ことが出来るのではないか。水泳の息継ぎは、吐き切ってから水面に口を開けば自(おの)ずから空気は体内に入ると習う。そこに吸うという意識はないという。

こう考えると、吸うことより「吐くことが大事」で、高い意識をもって吐く訓練をすれば、吸えるモノ(体内、心内に)のレベルの上がるのではないかと考えられる。汚い言葉を吐けば、その次に吸う息は罪業のカタマリなのかも知れないし、清い想いで発すれば浄魂が入ってくる。深い瞑想や正しき読経は、仏の言葉を発し、そのまま仏の言葉を頂いているからこそ、勤行の後、清々しく瑞々しい智慧がとめどなく湧き出ずるのでしょう。

 

[追記〜いま思うこと]ここでは「吐くことが大事」と説いています。今は「鼻から吸うことが大事」と説いています。ありゃ、これは矛盾してるんじゃない?と思われるかもしれませんが、この頃からの意識の(約10年)継続が「今の確信」なんですね。自分自身もたいへん興味深い内容でした。