2020/03/31『それこそスッと入る感覚です』

今朝も過去の日記からです。細胞レベルの話で「人は2年で完全に生まれ変わっている……いわば、別人である」という仮説を聞いたことがありますが、毎朝、過去の日記を読み直していると「他人」のものを読んでいるような新鮮な感覚があります。頑固……よく言えば「軸はブレていない」ていないので安堵してますが(笑)

2010/11/13/05:12:05にアップした内容を少し加筆修正して、最後の部分に「いま思うこと」を追記してお届けします。

 

2010/11/13『それこそスッと入る感覚です。』

(大きな法話会『うたかたり』を終えて……記す)

ふと、吸う息と吐く息はどちらが大切なのかってことを考えてしまいました。今回のような大会場では、大衆の波の繰り返しのような呼吸を感じたし、私とフォークシンガー・小林啓子さんの呼吸にも何か法則があるからこそ「阿吽」のパフォーマンスが出来るのではないか……と。

以前、咳に悩む私は「咳込むのは、口汚い言葉を吐くからだ」と教わったことがあります。早朝の(真言/マントラを唱える)瞑想や(長時間かけての)読経の後は咳がピタッと止まる。止まるだけでなく、頭の中がキチッと整理されていて心地イイ。それを総括してみると「息は吸うことより、吐くことが大事」だと思えて仕方がない。

普段の生活では「掴むこと」「摂取すること」「吸収すること」など身体に取り入れることに意識がいきやすくなってるけれど、実は手放すこと、放出すること、吐き出すことがあって、初めて「得る」ことが出来るのではないか。水泳の息継ぎは、吐き切ってから水面に口を開けば自(おの)ずから空気は体内に入ると習う。そこに吸うという意識はないという。

こう考えると、吸うことより「吐くことが大事」で、高い意識をもって吐く訓練をすれば、吸えるモノ(体内、心内に)のレベルの上がるのではないかと考えられる。汚い言葉を吐けば、その次に吸う息は罪業のカタマリなのかも知れないし、清い想いで発すれば浄魂が入ってくる。深い瞑想や正しき読経は、仏の言葉を発し、そのまま仏の言葉を頂いているからこそ、勤行の後、清々しく瑞々しい智慧がとめどなく湧き出ずるのでしょう。

 

[追記〜いま思うこと]ここでは「吐くことが大事」と説いています。今は「鼻から吸うことが大事」と説いています。ありゃ、これは矛盾してるんじゃない?と思われるかもしれませんが、この頃からの意識の(約10年)継続が「今の確信」なんですね。自分自身もたいへん興味深い内容でした。