2020/02/16『習礼と話芸の極み』②

さて、法要終わりのすこし長い休憩の後、講談3席(90分休みなし)が始まりました。この日のメインイベントです。ここで自布団長による「講談」解説。簡潔すぎる説明でどんどん期待が膨らんできます。

前座は旭堂南歌さんによる『弘法大師一代記』。ここで「講談ではこんな演出になるのか」と講談基礎、スタイルを学びました。

そして旭堂南左右衛門さんによる『西行』と『大石順教尼物語』。いずれも有名すぎるエピソードですが、南左右衛門さんの口に乗ると、これまた講座ならでは引き込まれる独特の世界が眼前に拡がっていくのです。内容については実演をぜひ聴いて欲しいので省略しますが、落語とは違う講談の言い回しがなんとも心地いいリズム。昭和の布教師は大いに真似てたのだなぁ……とニヤリとしました。

ここですこし奇縁を。今回の演出は桂米裕さん(自布団長)と、旭堂南左右衛門さんが芸人時代からの大親友ということで実現したわけですが、実は私にも別のラインでご縁があったことを講演後に知ることになったのです。

今から16年前(当時)、Y新聞に務めるHさんが私の布教活動を取材してくれたことがありました。今も続く『くらしき仏教カフェ』にわざわざおいでくださり意気投合。記事も素晴らしく、そこから大勢の方に私の活動を知って頂くことになりました。

Hさんはそのあと大阪に転勤なされ、それから親友としてメールでのやりとりが続くのですが、そこで「大石順教尼と高野山」のつながりを調べて欲しい。法話ではどのように語られているか……などいろいろ質問されました。それが何なのか(先方はちゃんと説明したとのことですが)私には当時さっぱりわからず、この日の講談を拝聴していて、じわじわと点が線になっていったのです。慌てて、メッセージを送りますと、正にその人・南左右衛門さんだったのです。Hさんは南左右衛門さんの演目の脚本をお手伝いなさっていたのです。

狭い世界にまたまたニヤリとして会場を後にしました。大笑いするでなく、涙腺が崩壊するでなく、人情と篤信を淡々と語る究極の話芸、講談初体験。家路を急ぐご夫婦が「な、来て良かったじゃろ?」と笑顔で会話している姿をみて、宗門が企画する意義を深く感じたのでした。